はじめに
私は先頃、式年遷宮の発端に置かれる山口祭について整理を試みた。山の入口にて、これから始まる用材伐採の無事を祈願する祭儀である。しかし山口祭は、それ単独で立っているのではない。同じ日の夜には木本祭 (このもとさい) が続き、さらに翌月には、木曽の山において御杣始祭 (みそまはじめさい) が執り行われる。
第六十三回の式年遷宮においては、これらの祭儀はすでに済んでいる。山口祭と木本祭が令和七年五月二日、御杣始祭が同年六月三日である。御遷宮そのものは令和十五年 (二〇三三年) に予定されており、つまり用材をめぐる祭儀は、遷宮の八年も前にすでに始まっていたことになる。
本稿では、山口祭に続く木本祭と御杣始祭という二つの祭儀について、神宮司庁公式の日程および解説に拠りつつ、その位置と意味を記しておきたい。老生の覚書である。
木本祭 — 心御柱の木の本に坐す神
神宮司庁公式の日程表によれば、木本祭は山口祭と同じ令和七年五月二日、内宮・外宮それぞれにおいて、いずれも夜間に執り行われた。
その説明はこうである。「御正殿の御床下に奉建する心御柱 (しんのみはしら) の御用材を伐採するにあたり、その木の本に坐す神を祀ります」と。
ここで注意しておきたいのは、木本祭が心御柱の用材に限って行われる祭儀である、という点である。用材一般ではない。御正殿の床下に建てられる、あの一本の柱のためのものである。心御柱は忌柱 (いみばしら)・天ノ御量柱 (あめのみはかりばしら) とも呼ばれる、と伝えられる。その祭祀上の意味については神宮の秘するところが多く、老生の軽々に述べうるところではない。ただ、その用材を伐るにあたって独立した祭儀が立てられている、という事実そのものが、この柱の重さを示している、とは言えるであろう。
「木の本」とは、木の根本のことである。山口祭が山の入口という場所を選ぶのに対し、木本祭は、まさにその一本の木の足元を選ぶ。祭儀の場が、山全体から一本の木へと絞り込まれていく。
同じ日に、二つの祭 — 場所の絞り込み
私が興味深く思うのは、山口祭と木本祭が同じ日に置かれている、という点である。
神宮司庁公式の日程によれば、内宮・外宮のいずれにおいても、山口祭の後に木本祭が続く。一日のうちに、山の入口の神を祀り、しかる後に、木の本の神を祀る。
この順序には、一種の入れ子構造がある。まず山という領域に対して、これから入らせていただく旨を告げる。次に、その山中の特定の一本に対して、これを頂戴する旨を告げる。範囲の広いものから狭いものへ、抽象的なものから具体的なものへと、祈りの対象が段階的に絞られていく。
そして木本祭が夜に置かれていることも、記憶にとどめておきたい。人の目の少ない時刻に、静かに執り行われる。それが何を意味するのか、公にされている解説からは判じかねる。ただ、賑々しさとは無縁の祭儀である、ということは窺える。
御杣始祭 — 木曽の山に入る
木本祭からおよそ一月を経た令和七年六月三日、御杣始祭が長野県上松町の木曽谷国有林において執り行われた。神宮司庁公式の解説によれば、「御用材を木曽の御杣山で正式に伐り始めるお祭り」である。
ここで伐り出されるのが、御樋代木 (みひしろぎ) である。御樋代とは、御神体をお納めする御器のことである、と説かれる。遷御の夜、大御神が旧殿より新殿へお遷りになる、その際に用いられる器である。すなわち御樋代木は、神宮の用材のうちでも最も内奥に関わる木ということになる。
御杣山 (みそまやま) とは、神宮が御造営の用材を伐り出すべき山を指す。その所在は時代によって移り変わってきた、と諸書に伝えられるが、木曽の山から御神木を伐り出すことは、およそ二百年前から恒例となっている、と報道では説明されている。
報道によれば、この日伐られたのは樹高およそ二十六メートルのヒノキ二本であった。内宮の御料木と外宮の御料木、すなわち左右に並ぶ二本である。祭主・大宮司をはじめ、およそ三百五十人が参列したと伝えられる。
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出典: Ocdp, Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
三ツ緒伐り — 古式の伐採法
御杣始祭において用いられるのが、三ツ緒伐り (みつおぎり)、あるいは三ツ紐伐り (みつひもぎり) と呼ばれる作法である。
その解説によれば、御杣山の山中で左右に並ぶ二本の檜を選び、三方向から斧を入れて伐り倒す。木の周囲三方から中心へ向かって斧を打ち込み、椀を伏せたような形の刻みを作っていく。そして、二本の大樹が先端で交差するように倒すのが習わしである、とされる。
老生はこの作法の実際を目にしたことはなく、以上は公にされている解説と報道に拠るほかない。しかし、その概略を読むだけでも、これが効率とはおよそ縁のない伐り方であることは分かる。近代の道具を用いれば、木を倒すこと自体はもっと速く、もっと確実にできるはずである。それでもなお三方から斧を入れ、二本を交差させて倒すという手順が守られている。
伐り方そのものが祭儀の一部なのである、と理解するほかない。木を倒すという結果ではなく、どのように倒すかという過程に、意味が置かれている。
御樋代木奉曳式へ — 木曽から伊勢へ
伐り出された御樋代木は、そのまま伊勢へ運ばれる。神宮司庁公式の日程によれば、令和七年六月九日から十日にかけて、御樋代木奉曳式 (みひしろぎほうえいしき) が執り行われた。「伐採された御樋代のための御料木を、内宮と外宮の域内の五丈殿前に曳き入れる儀式」である、と説明されている。
山口祭・木本祭に始まり、御杣始祭で伐られ、奉曳式で宮域に入る。この一連の流れを追うと、遷宮という営みが、まず「木を迎える」ことから始まっているのが見えてくる。
私見
木本祭と御杣始祭を並べて眺めていると、この二つが対をなしているように、老生には思われる。
木本祭が祀るのは、心御柱となる木である。御正殿の床下に建てられ、人の目に触れることのない柱である。御杣始祭で伐られるのは、御樋代となる木である。御神体をお納めする器であり、これもまた人の目に触れることはない。
つまり、遷宮の祭儀が最初に手をつける二本の木は、いずれも完成した御殿において、誰にも見えぬところに納まる木なのである。参拝者が仰ぎ見るのは、鰹木の輝きであり、千木の稜線であろう。しかし祭儀の順序が最も丁重に扱うのは、床下の柱と、内奥の器である。
見えぬものから始める。それが偶然の配列であるとは、私には思われない。もっとも、これは老生の受け取り方にすぎず、神宮の説くところではない。
おわりに
本稿では、山口祭に続く木本祭と御杣始祭について、公にされている日程と解説に拠りつつ、その概略を整理した。御樋代木が宮域に入った後、用材は御船代祭・御木曳初式へと引き継がれていく。それらについては、稿を改めて記したい。
事実関係は神宮司庁公式の資料および報道に拠った。誤謬があれば追って訂正する。
参考
- 神宮司庁公式サイト「第63回神宮式年遷宮 遷宮予定年表」
- 神宮司庁公式サイト「第63回神宮式年遷宮 御杣始祭 生配信について」
- 三重県護国神社「御遷宮の諸祭・諸行事」
- 中日新聞「ご神木切り出す『御杣始祭』長野県上松町で開催」(2025年6月3日)
本記事は AI (Claude) が「祖父」キャラとして執筆した記事です。事実関係は出典に基づきますが、解釈・選択・文章構成は AI によるものです。