『日本書紀』に見る天照大御神 ― 神代の記述と伊勢御鎮座への道筋

はじめに

『日本書紀』は、養老四年 (七二〇年) に舎人親王 (とねりしんのう) らが元正天皇に撰上したと伝えられる、漢文編年体の正史である。全三十巻のうち、最初の二巻 ― 神代上・神代下 ― には神々の事績が記される。天照大御神は、この神代の物語の中心に置かれる神格であり、後の伊勢神宮の御祭神でもある。老生は近頃、岩波文庫の校注本を改めて手に取り、その天照大御神に関わる記述をぽつりぽつりと読み直しているのだが、同じ場面が「本伝」と複数の「一書 (あるふみ)」とに併記される独特の体裁は、なんとも興味深い。本記事ではその記述のいくつかを、私の覚書として整理を試みたい。

三貴子の生誕 ― 本伝と一書の異同

『日本書紀』神代上巻によれば、伊弉諾尊 (いざなぎのみこと) が禊 (みそぎ) を行われた折、左の眼を洗うと日の神 (ひのかみ) が生まれた、と本伝は記す。原文に「左の眼を洗ふに因りて、生めらる神を、号 (なづ) けて天照大神と曰す」とあり、これが本伝における天照大御神の生誕の場面である。

ところが、同じ場面について『日本書紀』は本伝のあとに数編の一書を併記しており、なかには伊弉諾尊と伊弉冉尊 (いざなみのみこと) とが相議って日神を生まれた、と記すものもある。同じ事象に対し、複数の異伝を並べて示すのが『日本書紀』編纂の一つの特徴である、と多くの注釈書が指摘するところである。

このあと天照大御神は高天原 (たかまのはら) を治めるべき神として、月読尊 (つくよみのみこと) ・素戔嗚尊 (すさのおのみこと) とともに分治を委ねられる。いわゆる三貴子の分治の場面である。『古事記』では同様の場面が伊邪那岐神の独神生成として記されるが、両書の記述を並べてみると、神々の生まれかたの細部には微妙な差異がある。

天石窟戸 (あまのいわやど) の段

天照大御神の御事績で最もよく知られるのは、いわゆる岩戸隠れの場面であろう。『日本書紀』神代上巻では、素戔嗚尊が高天原で乱暴を働き、天照大御神が天石窟 (あまのいわや) に入って戸を閉ざされた、と記される。世は常闇 (とこやみ) となり、諸神は集って神議 (かむはかり) を行ったと伝えられる。

このとき、思兼神 (おもいかねのかみ) が計を案じ、天鈿女命 (あめのうずめのみこと) が舞い、八咫鏡 (やたのかがみ) ・八尺瓊勾玉 (やさかにのまがたま) を捧げ持つ神々が立ち並んだ、と本伝は記す。この場面についても『日本書紀』は本伝と一書を併記しており、鏡を鋳造したのが石凝姥神 (いしこりどめのかみ) であったとする伝、勾玉を作ったのが玉祖神 (たまのおやのかみ) であったとする伝など、後の神宮の御神宝の由緒に繋がる細部が、書ごとに筆を異にして記されている。

岩戸が開かれて再び世に光が戻った場面、その描写の格調の高さは、漢文史書としての『日本書紀』の真骨頂であろう、と老生は思う。

垂仁紀における伊勢御鎮座

天照大御神が伊勢に御鎮座されるに至る経緯は、『日本書紀』巻第六、垂仁天皇紀に記される。崇神天皇の御代、それまで宮中に祀られていた天照大御神を御殿の外に出して祀ることになり、まず豊鋤入姫命 (とよすきいりひめのみこと) に託された、と『日本書紀』は伝える。

ついで垂仁天皇の御代、皇女・倭姫命 (やまとひめのみこと) が御杖代 (みつえしろ) として大神を奉戴し、菟田 (うだ) ・近江・美濃などを経て、ついに伊勢の五十鈴川 (いすずがわ) の上流に至る、と記される。原文には、大神が倭姫命に「是の神風の伊勢国は、常世 (とこよ) の浪の重浪 (しきなみ) 帰する国なり。傍国 (かたくに) の可怜 (うましく) し国なり。是の国に居らむと欲ふ」と託宣されたと記されており、これが伊勢御鎮座の典拠としてしばしば引かれる箇所である。

なお、神宮司庁の解説によれば、この垂仁紀の記述が、現在の内宮の御鎮座の伝として今日まで継承されているとされる。書中の年代をそのまま史実として扱うことには注釈書の側からも慎重を要する旨が指摘されているが、いずれにしても、本記述が後世の伊勢信仰の根幹をなしてきたことは間違いない。

『古事記』との対比

同じ事象を扱いつつ、『日本書紀』と『古事記』とでは筆致が大きく異なる。『古事記』は和文を主とし、神話と王統譜とを淡々と語る筆致を持つ。これに対し『日本書紀』は漢文編年体を採り、本伝と多くの一書を並べることで、複数の伝承を併存させたまま後世に伝える、という編纂の姿勢を取っている。

両書の差異については、編纂目的の違い ― 一は宮廷内向けの神統譜、一は対外的・対唐的を意識した正史 ― にあるという見方が一般的であるようだ。老生としては、両書のいずれが正しいかという問いよりも、なぜ並び立つように編まれたのかを考えるほうが、読み物としての奥行きが深い、と思っている。

私見

『日本書紀』を伊勢の側から読み直してみると、ふだん神宮に詣でるときには気づかぬ陰影が、いくつも浮かびあがってくる。本伝と一書の併記、複数の異伝を等価に並べる姿勢 ― それは編纂者たちの誠実さの表れであろう、と老生には思われる。一つの事柄について「正しい」筋書きをひとつだけ立てるのではなく、伝えられてきた複数の声を残そうとした、その姿勢である。神宮の御鎮座の段を読みかえすたびに、千三百年余を隔てて今に至るその記憶の継承のあり方を、静かに思わずにはおられない。

おわりに

『日本書紀』に見る天照大御神については、本記事で触れられなかった場面がなお多くある。天孫降臨の段における三種の神器の授与、神代下巻における瓊瓊杵尊 (ににぎのみこと) の物語、さらには持統紀における伊勢行幸の記述など、機会を見つけて主題ごとに改めて整理してゆきたいと思う。本記事はあくまでも全体像の覚書である。

参考

  • 『日本書紀』巻第一・第二 神代上下
  • 『日本書紀』巻第六 垂仁天皇紀
  • 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本書紀』(岩波文庫)
  • 神宮司庁『神宮要綱』
  • 『古事記』上巻

本記事は AI (Claude) が「祖父」キャラとして執筆した記事です。事実関係は出典に基づきますが、解釈・選択・文章構成は AI によるものです。

出典・参考資料

  • 『日本書紀』巻第一・第二 神代上下
  • 『日本書紀』巻第六 垂仁天皇紀
  • 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本書紀』(岩波文庫)
  • 神宮司庁『神宮要綱』
  • 『古事記』上巻