はじめに
「京から伊勢へ」と言うとき、人の心に浮かぶ道筋はおそらくひとつではない。江戸期に整備された東海道筋から関を経て南下する道もあれば、奈良・大和盆地から東へ抜け、山中の峠を越えて伊勢に入る道もある。後者の代表が「初瀬街道(はつせかいどう)」と呼ばれる道で、別名「青越え伊勢街道」とも称されてきたと聞く。長谷寺の門前を起点として東へ進み、名張・阿保(あお)を経て青山峠を越え、津へと下る ― この一筋を、私の覚書として整理しておきたい。先に概観した「伊勢路」全体の中で、本街道がどのような位置を占めるかを、改めて確かめておく心積もりである。
「初瀬」という呼称の由来
街道の名に冠せられた「初瀬」は、奈良県桜井市の地名で、古くは「泊瀬」「長谷」とも書かれた。『万葉集』にもしばしば歌われた地であり、「こもりくの泊瀬」という枕詞の語感を覚えておられる方も少なくないと思う。長谷寺は西国三十三所第八番札所として知られ、桜井市の解説によれば、その門前町は中世以来、巡礼の人々で賑わってきたという。
街道がこの地名を冠したのは、奈良方面から伊勢へ向かう旅人がこの初瀬の里を一つの結節点としていたためと考えられている。詳細な命名年代については諸説あるようで、私には確かめる術がないが、少なくとも江戸期の街道絵図類には「初瀬街道」の名がしばしば見える、と地誌類は記している。
経路の概観
初瀬街道の経路を、現在の行政区分に照らして辿ってみる。三重県教育委員会の『歴史の道調査報告書』や関係自治体の解説によれば、桜井(初瀬)を発した道は東へ向かい、室生・赤目を経て名張に入り、さらに阿保(現在の伊賀市青山)を経て青山峠に至る。峠を越えると伊勢国側へ下り、上多気・伊勢奥津を経て、津または松阪方面へ続いていたとされる。
奈良・大坂方面からの参宮者は、この道を辿って伊勢に至り、その先で参宮街道(伊勢街道)に合流して内宮・外宮を目指したと考えられる。終点を厳密に「ここ」と定められないのは、合流点が複数あったためで、津から南下する者もあれば、松阪に入って山田へ向かう者もあったと伝えられる。
名張と阿保 ― 街道筋の宿駅
名張は、初瀬街道のほぼ中間に位置する宿場として記録に残る町である。名張市の解説によれば、近世には参宮の旅人を迎える旅籠や問屋場が軒を連ね、街道の屈曲に沿って町並みが形成されたという。現在もその名残を伝える旧家や町割が部分的に残されている、と聞く。
阿保(あお)は、現在の伊賀市青山地区にあたる古称で、青山峠の西側の麓町として機能していた。峠越えを控えた旅人がここで休泊し、また峠を下ってきた者がここで一息ついた、というのは、地形を眺めれば自ずと納得のいく構造である。「青山」「青越え」といった現代の地名・呼称が、いずれもこの阿保 ― 峠 ― 上多気の一帯を指していることは、地誌を読む者にとって基本の事実として押さえておきたい。
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出典: Gohachiyasu1214, Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
写真は奈良県吉野郡東吉野村に残る伊勢街道の道標で、初瀬街道そのものの道標ではないが、「はせ大坂」を行き先として刻んでいる点に注目しておきたい。参宮の旅人にとって、「はせ」(初瀬)が西方への一つの結節点として広く認識されていたことを示す傍証として、参考に挙げておく。
青山峠 ― 街道の難所
街道随一の難所が青山峠であることは、関係自治体の解説がそろって述べているところである。標高こそ著しく高いわけではないようだが、伊賀盆地と伊勢国境の山地を区切る分水嶺にあたり、九十九折りの坂道と、季節によっては雪や霧に阻まれる難路として、旅人の手記類に幾度も登場すると伝えられる。
峠の前後には、旅の安全を願う石仏や道標、休所などが散見されたと記録されている。中には今日まで残り、整備されているものもあると聞く。峠を越えた旅人がまず目にしたのは伊勢国側の山並であり、ここから先は「伊勢に入った」という心持ちが、おそらくは少なからずあったのではないか、と私は想像する。
私見
初瀬街道を辿る ― あるいは地図上で辿るだけでも ― と感ずるのは、この道がもとより「参宮」のためだけに引かれたわけではない、ということである。長谷寺の参詣、伊賀・名張地方との物資の往来、青山越えで結ばれる東西の交通 ― そうした幾重もの機能の上に、参宮の流れが乗ったと見るのが、より実際に近いように思う。 一筋の道は、しばしば複数の用に応えながら、長く保たれてゆくものだ。老生にはそう感じられる。
おわりに
本記事では、初瀬街道の全体像と、名張・阿保・青山峠を中心とする道筋の輪郭を概観した。長谷寺の門前・室生口・伊勢奥津方面の旧道など、書きとめておきたい個別の論点はなお多く残っている。とりわけ青山峠については、峠道の遺構と石造物の現状、伊勢国側へ下る上多気宿の様子など、機会を改めて稿を立てたい。「伊勢路」を構成する道々の一筋として、本街道もまた、丁寧に辿ってゆくに値する道である、と私には思える。
参考
- 神宮司庁公式サイト 神宮への道について
- 三重県教育委員会『歴史の道調査報告書』(初瀬街道・伊勢本街道関連)
- 三重県観光連盟 公式サイト 街道解説
- 桜井市公式サイト 長谷寺・初瀬地区の解説
- 名張市公式サイト 旧街道と宿場の解説
- 津市公式サイト 旧街道資料
- 『大和志』(享保期)
本記事は AI (Claude) が「祖父」キャラとして執筆した記事です。事実関係は出典に基づきますが、解釈・選択・文章構成は AI によるものです。